自説を唱えてみる。
の前に、本日版権1点更新しました。
ゆずのアルバム『LAND』ジャケットにいる女の子です。
しかし久しぶりに確認の為自サイトを開いたんですが、サイトデザインが崩れてて愕然としましたね!
なんだ、何が起きたんだ・・・orz
IE8の時に表示確認したきりだったので、そりゃ崩れるよね。
htmlはやっつけでやると後々自分にしっぺ返しが来るので、しばらくは崩れたままです。
お手数をおかけしますが互換モードでの閲覧推奨でお願いします。
さて妄想を始めようか。
生と死の紋章/坊ちゃん(テッド)
はじまりの紋章/2主
円の紋章/ヒクサク
罰の紋章/4主
変化の紋章/シルダル族
これら5つを同じカテゴリーにぶち込んだわけですが、相互関係があるもの、関係性がありそうなところを固めただけです。
まず、分かり易いように箇条書き。
円と変化→停滞と変化と相反性。
円とはじまりと罰→法を体現し、それを裁き、罰と許しを与える。
生と死とはじまりと変化と円→全ては生からはじまり、死に向かい、適性に応じて変化が生まれ、新たな生を育む生命の循環。
なんとなくですが、この紋章たちって人類進化論を見てるようで、すごく人間臭い気がするんですよね。
生を受け、変化を伴いながら成長し、法を整え、それを犯したものを裁き、罰を与え、許しへ移行し、死を迎える。
それらが環のようにグルグルと巡る。
法を作る、裁く、罰するが特に人間染みてる。
生死、進化は生きとし生けるもの全て共通するものだから余計に浮いて見えるんですよね。
で、もうここは全部同じカテゴリで括っちゃえってざっぱにも程がある考えでまとめしまいました(笑)
ただ相互性はないんですけども。
渡し手と受け手がいるだけ。
スタート走者はやっぱはじまりかな。
起点がないと何事も進まないし、そのあとは円の惰性でぐるぐる廻ってるイメージ。
それを邪魔できるのは法を裁くことのできるはじまりと、停滞を動かすことのできる変化だけ。
生と死はそれ自体が生命の摂理になっているから代替わりはあっても変化はないのである意味停滞してますし、レベル4魔法で裁きがありますが、あれは法を裁くというより魂を裁いているように見えます。
循環するべき魂かどうか、循環の輪に戻す為の浄化を担っているのかもしれません。
始まりの裁く力は対人ではなく、紋章に対してとかどうだろう?
円が体現した法に照らし合わせてはじまりが裁き、罰が下された罪に対して罰と許しを与える。
ってなると、円はともかく始まりと罰はセットでいないと駄目なのかな?
例え裁かれても、それの罪は罰しか与えられないとか。
罪の宿主が紋章使用ごとに命を削られるのは、罰を与えるものが罪を抱えていてはならないということで、更に資格や素質関係なしに節操なく近くの人に宿るのは多くの人の手に渡ってはじまりの近くに行こうとしているとかだったら面白い。
はじまりは基本的に祀られているから宿してもらわないと移動できませんし、真の紋章にする過程で宿主の片方が必ず死ぬのはそのくらい乗り越えられる強靭な精神の持ち主でないと裁く権利などないってことでしょうか?
無理やり責任押しつけといて理不尽だな!
少し話は戻って。
はじまりがスタート走者だとして、もし遊び半分ではじまりが何かやらかした場合も円は嫌々それを続けないといけないとかだったら面白い。
はじまり(゜∀゜)<なーなー、最近変化なくて面白くないよなー
円(´д`)<停滞最高!俺、停滞大好き!
(゜∀゜)<お前の意見はどうでもいいんだよ
(´д`)<ヒドス
(゜∀゜)<あ、俺閃いた!
(´д`)<なに?
(゜∀゜)<俺って片割れだと宿主の命削っちゃうじゃん
(´д`)<罰も大概だけどお前も物騒だよね
(゜∀゜)<お前も削れよ
(´д`)<は?はぁ?!
って感じに押し付けられてもしぶしぶ従わざるを得ない円とかどうですか。
紋章擬人化にはあんまり興味はないのですが、ちょっと面白そう。
この前後関係があるからヒクサクがやたらはじまりの紋章を警戒してたらいい。
でも守られるべき法を体現しているのは円な訳で、はじまりが勝手にマイルール追加できんのかな?